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映画作品
映画「ロストケア(松山ケンイチ主演)」のサブスク動画フル配信視聴サイト一覧
この記事では、2023年03月24日に公開された映画「ロストケア」の動画はどこで見れるのか?また映画の情報やあらすじ、キャスト、レビュー、予告編動画、DVD&Blu-ray情報などを紹介します。
映画「ロストケア(松山ケンイチ主演)」の予告編動画
映画「ロストケア」の動画配信サービスの情報
映画「ロストケア」のDVD&Blu-ray
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映画「ロストケア」の動画情報
映画「ロストケア」の作品データ
- 作品名:ロストケア
- 監督:前田哲
- 脚本:前田哲, 龍居由佳里
- 製作会社:Nikkatsu Corporation, Tokyo Theatres Company, Dragonfly Entertainment, Toei Video Company, Toho Entertainment, Kobunsha
- 配給:情報なし
- 公開:2023年03月24日
- 上映時間:114分
映画「ロストケア」のあらすじ
葉真中顕原作ミステリーを、松山ケンイチと長澤まさみの共演で映画化した社会派エンターテインメント。誰からも慕われていた介護士でありながら42人を殺害した男と、そんな彼を裁こうとする女性検事の対決を描く。
映画「ロストケア」のレビュー&見どころ(評価・ネタバレ・感想)
映画,comAmazon PrimeTMDB
原作のミステリー要素は抑えめにして、早々に犯人が分かり、本作のテーマである介護問題をめぐる議論を深める方向に脚色していた。日本のこれからにとって非常に重要な、重苦しい問題を突き付けてくる。大量殺人の動機は、介護で犠牲になる人々を解放することだった。介護業界も人材不足、共働きせねば生きていけない世帯が増えるので、家族で介護するのも難しい。そもそも、子どもたちと別居している世帯が地方には多い。それでも家族の介護に関わっている者たちはギリギリで生きている。しかし、介護に時間を取られて満足に働けないし、体力的にも精神的にも追い詰められていく。殺人が救いになるなど、あってはいけないと思いたい。しかし、この現実から目を背けてもいけない。超高齢化社会の日本ではこれは全くの絵空事ではない。介護を受ける人の尊厳、介護する人の尊厳、どちらも守ることは社会にできるだろうか。様々なリソースが減少し続けるこの国が抱える深刻な課題を突き付ける優れた作品。
同じ介護士が働く訪問介護事務所の入居者の死亡率が突出していることから、1人の検事が事実の確認に着手する。やがて見えてくるのは、65歳以上の高齢者が人口全体の3割を占めるここ日本で、もはや国の政策や制度では賄い切れない厳しすぎる現実だ。疑惑の介護士が言い放つ、常軌を逸しているようで、実は胸に突き刺さる一言に激昂し、否定する刑事の側も迷いがある。2人のやり取りを聞いていて、これを他人事だと言い切れる人がいったい何人いるだろうか?介護問題と人間の尊厳が天秤にかけられ、危ういバランスを保っているこの国で、だからこそ、これは今、作られるべくして作られた映画。ここ数年、進境著しい松山ケンイチ(介護士)と長澤まさみ(検事)が共に渾身の演技で観客を映画の空間に引き込んでいく。その吸引力が半端ない。社会派ドラマとサスペンスが絶妙のバランスで配分された必見作と言えるだろう。
本作は、長澤まさみ×松山ケンイチという組み合わせの段階で魅力的です。ただ、内容自体は、私たちにとって重大な様々な問いかけをしてきます。私たちは自然と「見たいもの」と「見たくないもの」という分け方をすることで、できるだけ「見たくないもの」を逃避する傾向があります。本作では、その後者に当たる「現実問題」を分かりやすく見せることで、私たちに「考えること」を促します。ネタバレにならないように、本作に出てくるキーワードで「問題」を提示してみます。本作では、「年金」「生活保護」「刑務所」というワードが出てきます。例えば「(国民)年金の場合は、生活保護費よりも少ない場合がある。これは不公平ではないか。年金の保険料を払わない方が得だ」といった意見を見かけることがあります。この論については、いろんな誤解があるのですが、ここでは解説するのではなく、次の問い掛けをしてみます。「生活保護によって非常に限られたお金で苦しい生活をするくらいなら、自動的に毎日3食が食べられ雨風をしのげる住まいや医療も提供される刑務所に入っていた方が得だ」という考えはどうでしょうか?実は、前者の論よりも後者の論の方が、「正解」が見えにくくもあるのです。このように、普段は考えないような「社会問題」も、日本は「世界一の高齢大国」であるため、「介護」の問題は私たちが世代を問わず直面し得る極めて重要な「問題」なのです!その「問題」においては、「連続殺人犯」vs「検事」という極めて分かりやすそうな構図であっても、正直なところ「どちらが本当に正しいのか?」と「正解」は非常に見えにくいのです。これは、例えば今ロシアで刑務所にいる殺人犯が戦場に駆り出されていますが、その殺人犯が戦場で多くの敵を殺戮すれば、無罪放免になるどころか「英雄」になれる、といった「現実」もあることが象徴的です。このように、環境によって「正解」が真逆となるのが「現実社会」でもあるのです。以上の予備知識を踏まえた上で本作を見れば、様々な視点で考えられる「軸」のような映画となることでしょう。
安全地帯からこぼれ落ちた穴にいる人たちは、社会がどうにかするべきなのに、個人の責任にしているおかしさがよく分かる秀逸な作品、だと思う。娯楽じゃ観れないので注意が必要かな。
社会が抱えてるとても大きな問題であり、誰も声高に語らないとても重いテーマ。自分が介護する側にもされる側にもそしてされない側にもなる可能性があるから、見ていて結構キツイ。裁判シーンくらいから、ラストはどこに向かってるのか?と考えながら見てました。結局わからないままです。こうするべきとか安易に描けないということでしょうか。役者さん全員素晴らしいですが、柄本明さんダントツです。あれが演技とは…凄すぎます。
僕は今のところ、いわゆる「安全地帯」にいます。しかし、いつか向き合うことが来るかもしれない。年上の同僚の話ですが。以前に認知症の父親がいて、奥さんと一緒に介護をしながら、仕事をしていました。失踪はしょっちゅう。職場に「お父さんがいなくなった!」と電話がかかってきては、上司に謝り、捜索のために早退したり…。家に帰れば、物を壊していたり、ご飯を食べた30分後に「食べてない」とまた食べ始めたり、夜中に一人で公園に行ってたりと…。夜勤もしながら、とても大変そうでした。ある日、そんなお父様も亡くなり…。後日、その同僚は「いなくなってくれて、ありがたや…なんてことも、正直思ってしまうよ」ということを話していました。しかし、亡くなるちょっと前には「このまま命を終えるしかないのか…と思うと、涙が出た」とも、話していた。複雑ですね。世間でも、長年の介護の末、認知症の妻を殺害してしまったという事件などもある。殺人は絶対にいけないことだけど、ただ責めることはできないのでは…と。すごいメッセージ性の強い、観る人によっては涙が止まらない…様々な意見も出る…そんな映画じゃないかと思いました。
演技は素晴らしく、特に検事と犯人が、命の価値について哲学的対話を交わすシーンは見所だった。以下、介護従事者(ケアマネジャー)としての視点から…訪問介護の仕事の描写にリアリティが欠けていると感じた。人材不足が深刻な介護現場では、施設でも居宅でも一対一の対応が求められるのが現実であり、1人の利用者のために3人のヘルパーが訪問することはあり得ない。また、密室で介護者と利用者が二人きりになる状況が多い事こそが、介護従事者による不正の要因になり得るにもかかわらず、その点が見過ごされていると感じた。犯人とその父親に対する支援についても、日本の社会保障制度を考えれば、解決が「超困難」とまでは言えない。父親自身が「息子に迷惑をかけたくない」と明確に意思表示している以上、日本の社会保障制度を活用すれば、月7万円の年金内で利用できる介護施設は存在する。もし現実的な選択肢を知っていれば、父親も息子を犯罪者にするより、自ら施設に入る決断をしていただろう。むしろ、本当に支援が困難なのは、本人が自らの課題を認識しておらず、施設の利用やサービスの介入を拒否するケースだ。このような場合、家族も支援を諦めて離れてしまい、最終的に身寄りのない状況に陥ることも少なくない。家族介護が過酷なものであることは紛れもない事実である。一方で、映画では描かれない共助や公助の手が、世の中に溢れている。この作品が介護に対する過度なネガティブキャンペーンとならず、現実の介護の課題を冷静に考えるきっかけとなることを願う。
扱ってるテーマはとても重要でケアをする側、される側両方の苦しみや尊厳に踏み込み、また金銭面などでそこまでの苦しみがなく過ごせている人からの目線もありとてもら考えさせられるのだが問題提起以上のものが何も伝わらなかった。柄本明、戸田菜穂など演技も素晴らしかったのだが戸田菜穂が父を返せと悲痛な叫びをあげたときに自分の行いが正当なものと信じて疑っていなかったシバには何も響かなかったのだろうかだとすると彼の本質にはやはり共感性に欠けるものがあるのではないかと思うしそうするとこの映画の本質にブレが生じてしまうように思う。
今放送されている「クジャクのダンス、誰が見た?」で初めて松山ケンイチさんの演技を見て、毎回その演技の凄みとその居姿にかっこよとなり、キュンキュンして、この方の作品を観てみたいとロストケアに辿り着きました。ちなみに鈴鹿央士さんのファンでもあります。確かに何故、この作品が評価されなかったのかと思いましたし、いつもなら動画の途中で飽きちゃったりして、また後日観ようとなるのに、全くそう思わないほど、内容があまりにリアルでした。とても人ごととは思えないと誰しもが思うのではないだろうか…。それと、何故柄本明さんの演技が評価されないのか?色んな映画にメインではないにしろ、いつもその演技力に圧倒されるのに…不思議だ。
老人問題介護問題十数年、数十年 前から言われてきた社会問題。老人病院の実態は 目にすれば 本当におぞましい。実の父は そういった類の病院で息を引き取った。実家の書店店舗と住宅を銀行に全て差し出して 私は故郷を失った。夫の実家が同じ地方だったので その実感は今もほぼないが実際はそうである。その病院は そこで働く看護師介護士が天使に見えるほど壁やカーテンに糞尿の匂いが染み付いていた。決して不潔という事ではないのに、その匂いは 病院の周りに引力に縛られた大気圏のように存在していた。その病院には お世話になってる特養ホームから運ばれた。ひと月程度の入院のあと 意識がなくなり それでもしばらく痙攣を伴う危篤状態を数日経て明け方に 一旦帰宅しようと病院から自宅に戻る首都高の上で 息を引き取ったと連絡を受けた。自分の故郷でない場所で死んでしまった事が 私としては一番不憫に思えた。父は 私を産んだ母とは 離婚していた。そして 私を含む3人姉弟を 無理矢理 母から奪って新しい母と暮らし、そしてその母と再婚し私には もう一人妹が増えた。誰しも というか それぞれ 人にはそれなりの 家族の 関係があり 傷があり 痛みがありその痛みからは 逃れる事などできないので受容するのだ。殺してしまわなければならないような成り行きになるかならないかは 本当に 運 なのかもしれないと思う事がある。殺す事は もちろん 出来ないんだけど誰もが 我が家のように 出来たばかりの 新築特養ホームに入れるとは限らない。今でも あの時 入れる手続きをしてくれた 区役所の職員には こういう作品を見ればなおさらの事感謝という言葉だけでは 全くもって不十分なくらいの感謝をしているのである。他人事で 切り捨てられない問題だからだからあの裁判のラストで遺族が叫ぶ「返して!!!」 の言葉には ものすごく違和感を持ったのである。ただただ 殺人を正当化するわけにはいかないから ってだけの詭弁にしか見えなかった。
作品についての感想や演技についての素晴らしさは他の方からも散見されるので、介護職13年の自分から見た感想を書きたいと思う。よく見ると本作は実に生々しく自宅介護の現実が描かれている。散乱したゴミ、薄汚れた部屋、糞尿をまき散らかす父、同じことを繰り返し話す母、異食、暴言、暴力。作品のそこかしこに介護の残酷さが見事にちりばめられている。私は認知症対応型通所という認知症しか通えないデイサービスで働いてる。利用者すべての人が認知症である。デイサービスという仕事だからこそ分かる現実がそこにはある。なぜなら必ず家に送迎をするからである。そこでは利用者の状態だけでなく家族の接し方から家の状態まで見て取れる。はっきりと言おう。まさに生き地獄である。自分の時間や生活を削って手厚い介護をしている人はほんの一握りの富裕層あるいは低所得者(生保)だけで、現実は残酷なものである。マツケンが演じる斯波は仕事を辞めて始めたアルバイトももならない状態になり、ついには父を殺めてしまう。ここで少し介護に知識があれば介護サービスをなぜ使わなかったのか等と思うだろうが、使ったところでである。デイサービスというものは早くて朝の9時前に迎えが来て、遅くても17時には送り出す。早朝から親の身支度などを整えて自分の仕事の準備そしてどうかしたら子供の学校の準備も整えて、17時頃には家で待機しておかなければいけない。これが認知症だと夜も眠れないこともしばしば起こる。こんなホワイトカラーな規則正しい仕事が出来るのはほんの一部の人だけ。現実的に考えてそんなことは不可能である。これが柄本昭演じる斯波の父程度の認知症、身体の状態ならなおさらに無理である。ホームヘルパーにしても短時間利用が原則で仕事に行っている間の9~10時間(残業なし)の間を看てくれる訳ではない。気が狂いそうになると思う。実際に手厚い介護をしている家族ほど精神が蝕まれていく。酷くなると同居している家族がいるのに3日前にセンターで着替えた衣服のまま、オムツのままという状態になる。これはもう虐待である。しかし、そんなものはお構いなくデイサービスを利用する。もうこの時点で家族も利用者も地獄の真っ只中である。ここで介護サービスについて話そう。介護サービスというのはまず居宅支援事業所のケアマネージャーが担当になり、介護者と本人の希望を踏まえた上で介護計画を作り、それに則って介護サービスを紹介して利用する。ケアマネージャーは月に一度は利用者の元を訪れて担当者会議というものを行わなければいけない。基本は利用者の自宅で、利用者の状態を踏まえてサービスの継続や変更などを確認する。ここで何を言いたいのかと言うと、家の状態がどのようになっているかケアマネージャーは知っているという点である。しかし現実では独居で糞尿にまみれた利用者を迎えに行くこともあれば、同居家族が居てもロクな身支度もされていないこともある。それを知っているケアマネージャーも見て見ぬふりだ。その理由の一つとしてお金の問題がある。最高3割負担である介護サービスは毎回病院に行っているようなもので、それを週に何回も利用出来る資金力が問われる。さらに介護サービスは介護度によって月に使えるポイントみたいなものがあり、それを単位数という。介護度が高いほど使える単位数が増えていく仕組みである。寝たきりだと介護度は5になるので週に5~6回程度デイサービスの利用をが出来る。しかし、認知症がどれだけ酷くても自分で歩いて食べれる人は介護度3が最高である。だが正社員で働いていたら週に5回はデイサービスを利用しなければいけないが介護度3だと週に3~4回の利用までしか単位が足りず、あとは実費負担になる。夕食付で延長出来る有料サービスもあるがこれも実費である。よほどの高給取りか資産家じゃないとデイサービスを週5で利用して夕食までなんて出来ない。そしてもっとも馬鹿げたなことに安楽死もないこの日本では生産性のない介護は家で行えというのが国の考えである。自立支援という大義名分で自宅介護を推し進めているのである。なのでケアマネージャーも自立支援を基本勧めてくる。ここで個人的な見解だが正解を出すとしたら一つ。入所である。負担額は割高になるが精神衛生上の事を考えると認知症は入居の一択。とにかく一刻も早く地獄から抜け出たい人はまず精神科を受診させよう。そこで正しい薬を出してもらい、入れるなら有料老人ホーム。無理ならグループホームか老人福祉施設(特養)に入所させよう。はっきり言うが入所施設は利用者にとって良い場所ではない。認知症が悪化している状態だと扱いが酷いこともある。それでもお互いの事を考えたら入所がベスト。まさに穴の外の安全地帯に移動しましょう。なぜ、私がこのようなことを言っているかというと、無理に自宅介護に拘って共倒れすることを危惧しているからだ。斯波も言っていたがこの国の介護疲れによる殺人や無理心中は増加傾向である。共倒れするくらいなら早期に入所させるのがお互いにとっても幸せである。認知症は難病でもないのに、もっとも残酷で人に迷惑をかける病気だ。もし自分が罹患したら自分でけじめをつけたいと私は強く思う。我が子にそんな介護を強いたくないし、不自由なとこに入所までして生きながらえたくもない。自分がどこに居て何をしているのか、自分の子供の事まで忘れてしまうのだから。。どんな正義感の塊であっても、どんなに愛情深い人でも挫いてしまうのが認知症である。少し想像してほしい。自宅に居るのに「家に帰りたいんです」と間をおかずずっと話してくる両親を。1時間でも地獄である。それが料理などしようものなら勝手に外に出ていくのである。制止すると「何するのよ」と暴れて、泣いてくるのである。本作はそんな地獄に警鐘を鳴らすとても良い作品だと思う。どうか介護が地獄だと感じたらすぐに入所を考えて欲しい。最悪の結果を招く前に。
この映画は、元々注目していて、初上映直後に鑑賞し、刺さりまくって、ボロ泣きしたにも関わらず、比較的早めに公開終了したので、世の中に対して怒った記憶がある。なんでお前ら、みんな観ないんだ、と。ふざけんじゃねーぞと。なんだったら、賞レースでノミネートすらされないことに、テロ計画も辞さぬ勢いで、激怒していた記憶がある。とあるサブスクで配信され、再び注目されているが、今振り返ると、ところどころ、なんだかなぁという、主人公の思想、行動諸々、他の登場人物の行動原理など、整合性の保たれていない部分も、正直、見受けられる。ただやっぱり、主人公の父親である、柄本明と主人公との、顛末一部始終のくだりは、介護経験のある人間なら、言語化し総括せねばと思わせる、この作品「最大の見せ場シーン」だと思われる。この作品に公開当時、なぜ注目していたかというと、数年前に、一瞬だけ介護業界に、足を踏み入れた経験があった事と、指定難病で日々老い、日々弱っていく、母親との共同生活の中で、なにかこう、道しるべのようなものを、強く求めていた時期だったからだ。介護の世界へ行こうと思った動機も、母親に将来起こるだろう事を、想定しての事だった。私の場合は結果的に、見習い期間だけで業界を去ってしまった。コロナが直撃した直後、という事もあり、見習い中に、取るべき資格習得の機会を喪失し、無資格のままの勤務だと、パート扱いにしかならず、食べていける収入を予測できなくなったのだ。転職により年収が100万どころか、200万も下がるようでは、絶対無理だった。その結果、前にいた別の業界に戻り、運よく同じ会社へ出戻りができ、収入こそ減ったが、逆に時間の都合がつくような、勤務体系となったので、母の通院時間もとれたし、自身の健康維持活動も新たにできて、好転した生活部分もあった。オムツの基本的な取り換え、基本的な排泄介助、移乗介助だけの技術習得に留まったが、そこでの経験が、昨年秋に実を結ぶ。母が末期がんにより、急に自力排泄できなくなったのだ。そして、がん告知から1か月持たず他界した。ヘルプで叔母が家に来てくれたが、排泄介助のほとんどは、自分がやったし、映画の主人公のように、親の介助で、精神的にも肉体的にも経済的にも追い込まれる事なく、あっという間に、あの世へ旅立った。なので、私と母の関係は、主人公の松山ケンイチと父親の柄本明のような関係には「運よく」ならずに済んだが、もし介護が長期化すれば、間違いなくあの親子と近しい関係性にまで、追い込まれた事だろう。ロストケアで見られる現象の全ては、誰にでも起こりうる不幸、誰にでも降りかかる現実。私だけに起こる事ではないのだ。これを予測できてる日本人は、2025年現在でさえ、意外と少ない。どう見ても少ない。だから、社会に対して、急いで啓蒙すべき案件なのだが、映画があまりに短期間で上映終了したので、当時も怒ったし、母を亡くした今では、さらに怒っている。プンプンプンのプンで、大絶賛の激おこ中だ。( `ー´)ノなんだったら、「はだしのゲン」やら「火垂るの墓」やらを、国民に地上波で見せるよりも、「ロストケア」を、全国民に見せろよ、とすら思っている。冗談でもなく、本気で。そして、大袈裟なことでもなんでもない。2025年7月に災害が起こる事よりも、確実に来る、現実的な困難じゃねーか。何度も言うが、私はたまたま「運が良かった」だけ。いつでも貴方は松山ケンイチになりうるし、貴方は柄本明になりうる。それを世の中の人々は、まるで実感していない風潮すら感じる。何かがおかしい。何かが。自分が「トゥルーマンショー」の世界にでも来たのかというほど、誰も彼もが、困難に対して無自覚なのだ。不思議で仕方がない。今日、職場の20代の後輩と雑談していたら、彼もまた、困難に対して、おそろしいほど無自覚で、本当に怖くなった。だから、あともう10歳、年を取ったら、頭の中に、健康の事と介護の事を考える時間の割合が、0から増えるよ、とだけ言っておいた。それ以上、説教じみていうと、陰謀論者みたいな扱いを受けるから。そういう意味で、この映画を観てくれる人が増えれば、きっと、私が後輩から嫌われる機会も減っていくに違いない。そう願うばかりだ。私は、この映画を観て、母を亡くして、尊厳死肯定論者になったが、尊厳死肯定論者が、陰謀論者のごとく疎外される世の中が、少しでも変わりますように。良かった演者柄本明松山ケンイチ
私はまだ介護などしたことはありません。したくもないし、されたくもありません。自分に置き換えれば、すぐに理解できることです。命は大切ですが、自分の人生と照らし合わせたら、どちらが大切でしょうか?否定的な方は、、、自分の負担になっていないか、ただの偽善者(傍観者)だと思っています。自分がそのような状況になる頃には安楽死が認められているといいなと思っています。
今や日本の最大の課題である超高齢社会の老人介護がテーマの映画。お年寄りに優しく、介護士として真面目に働く松山ケンイチが実は陰で老人を殺害していた。それはその老人を介護している家族を守るためだと言い切る。過去に辛く悲しい認知症の父親に対する経験から来るものだったのだが。ここに描かれている認知症の老人がかなり酷い。現実なんだろうけどこんな状態なら居なくなれば良いのにと思ってしまうのはわかる。意外にもそうでない人もいた。被疑者松山ケンイチの担当検事が長澤まさみなのだが、彼女にもまた認知症の母がいる。被疑者と自分を重ね合わせ、対峙するシーンでは被疑者に煽られ感情的になるところがあるが、検事がこんなに声荒らげるか?と醒めてしまった。色々と考えさせられる映画だった。老人介護はしたくないな。。。
こんな悲しいけど今の日本の芯をついている映画ありませんね、自分の死を選ぶ自由も保障されるべきだと強く感じました。もちろん、死を望まない人は多いでしょうが、好きなところにも行けず、何もできず、ただ老いていく人は何が幸せなのか私には想像できません。介護の世界の闇は想像を絶する世界だと痛感しました。
脇役もみんな上手い。長澤まさみはコメディやってた方が良いかも
これから増える一方になるはずの介護問題重いテーマを観るものに問う映画だ長澤まさみ、松山ケンイチ実力派の演技が物語に引き込む暗澹たる気持ちにさせるエピソードの続く中、鈴鹿くんとずんのやすさんがちょっと和らげる(鈴鹿くんは見た目の甘いフェイスが)最後、泣けた
松山ケンイチが親と写真見て小さいころ思い出してるシーンから号泣が止まらなかった、自分も介護という責任がでてくるような年になって初めて感じることのできる映画だと思う、まだうちの親はボケてなく元気だけど、寝る時間が多くて昼大抵寝ている、いつもは気にしない俺も寝室覗いてしまって、大切にしたいと思った、月をみてロストケアの話が出ていて興味がありみたのだが、月よりテーマが軽めといってる人がいたが、とんでもないこちらのほうが重い。月は境遇があまりに違っていて共感できない部分が多く、考えさせられるけど大変だなってことぐらいで泣くことはなかったが、老人の痴呆介護問題は誰にでも起こることだから、なおさら泣ける。そして出てる役者が全員うまい、長澤まさみとかなめてたわ
『ロストケア』は、原作のエッセンスを踏襲しつつも大胆な再構築が施された作品である。原作では独善的で頑なな男性として描かれていた大友が、本作では女性として生まれ変わり、その内面に潜む哀愁と葛藤が丁寧に掘り下げられている。従来、殺人者側に対してある種の同情を覚えさせる構図が魅力の一端を担っていたが、今回の脚色によって「2つの正義のぶつかり合い」という新たなテーマが浮き彫りにされる。物語は、個々の信念が衝突し、互いに譲れぬ正義が対峙するという、現代社会の断絶を彷彿とさせる重厚なドラマへと昇華している。
また、松山ケンイチの演技は、特に彼が初めて殺害を認めるシーンにおいて、その狂気じみた演出が際立っている。彼の内に潜む破滅的な情熱は、単なる社会正義や信念の追求を超え、個人的な残虐性という影をも作品に落とし込んでしまう。結果として、感情の奔流は見る者に衝撃を与える一方で、過剰なエクストリームさが全体の緊張感を一部損ねるような、惜しむべき選択と映る。
『ロストケア』は、伝統と革新、正義と残虐の狭間で揺れ動く現代の寓話ともいえる。大胆なキャラクター改変と衝撃的な演技が交錯する中で、観る者に深い問いかけを投げかける作品である。映画としての完成度は高いものの、そのエモーショナルな過激さが一部の評価者には賛否両論を呼ぶだろう。
いずれ誰しもに訪れるであろう内容。
どちらの立ち場であれども。後悔が残らない選択をするのは難しい。
とても考えさせられました。
後半は涙と鼻水で顔面崩壊。
松ケンのファンではなかったのですが、彼の演技にとても引き込まれました。
そして、彼があんなに美しい顔立ちで演技がとても上手いということに今更気付かされました。
柄本明さんとのシーン、とても印象的でした。
エンドロールの間も涙が止まらず。
家族の絆、介護、本当に綺麗事だけでは済まない、そしてそれはいずれ誰しも訪れるもの。
見終わった後の余韻が凄いです。
ホントに身につまされる問題です。 全ての人間が平穏のまま生涯を終えれたならいいんだけど。
主演二人を始め皆すごかった。
障害者施設の事件にヒントを得て書いたんだろうけど、考えさせられるとか言うものでもなく他人を殺したら普通に全然ダメだよ
この映画でいうとお父さんは身内だし、向こうから頼んできたから組むべき事情があるってのはわかるけど、施設の人たちはいくら救うつもりでやってようがお前の思い込みで勝手にやっていいもんじゃないよ
ただの殺人
本人に頼まれたわけでも家族に頼まれたわけでもないのに
自分の身の回りにはまだ起きていないけど、
これから起きていくかもしれない内容で考えさせられる内容でした。
どの人の主張もわかるなあと思ったし、
演技のひとつひとつが本当の言葉のようで嘘っぽさを私は感じませんでした。
内容は苦しいけど、好きな映画だなと思いました。
星4なのは、足立由紀がヒステリーを起こしたり、風俗に落ちたくだりだけは
共感もなく、物語のテンポも悪く、なぜ…?と思ったのでその分を引きました。
テーマからも離れてしまうのかな……
超高齢化社会の2025年問題の2年前に公開された作品。
メインテーマの介護・尊厳死問題は少し置いといて、社会正義上の死とは?を描いた映画「デスノート」の片方の主役を主演に抜擢した映画でもあるのでサブテーマとして見返してみるのも良いかも知れません。
演出的に両方の真面目さをベースに、一方は数学の才能のある助手(事務官)を持ち、上司の指示以上の真実追おうとする目を持つ検事。一方は必要以上に業務を全うしようと親身に接しする深い眼差しを持つ介護士。
この二人が検事室で42番目の介護殺人容疑で対峙するわけですが、その取調べは検事側が事件の理不尽を付いて自白を迫り、被疑者側は生態的に避けて通れない障害とその社会の対応の不条理で応じます。デスノートでもそうでしたが世論を二分します。いさかい果てての・・・という言葉があるそうですが、そういう言い争いは何の役にも立たない事を示しています。ここでの演出では前段で鏡に映った検事の4つの姿と磨かれた机に写る検事。被疑者の方は全半身と鏡に映ったほんの一部だけ。演出上の示唆があるんでしょうね。
もう一つ示唆があるか?の映像は、検事室で救われたと言う遺族の後ろにあるFAXコピー機でかなりの存在感がありました。盗聴器が置かれた遺族ですので救いの通信と同じ42件での示唆か?とか、社会秩序を守る検事室唯一の外部通信装置の空しさを表しているのか?いろいろ考えてみました。
裁判所での被告の最終陳述で「どうか僕を救ってください」では、身につまされる思いで絆されるという言葉がありますが、彼自身もその絆か若しくは父親との絆で呪縛が解けなかった。それとは対照的に「人殺し!」と叫んだ遺族は完全に呪縛が解け安全地帯に入り平常の生活者に。そして被告とも平常者でもない過去を忘れず希望を持とうとするもう一つの遺族像。
またもう一つ。自分や社会ではどうする事も出来ない不条理または不信感を持つネグレスト系の家出、自殺願望の少女達の安易な逃避先と友人とかその救いの通信手段のスマホの描写。
そしてまたもう一つ。逃避として介護放棄の自分と向き合えた感謝で折り鶴とか。
超高齢化社会で安全地帯と云うのは、単なる逃避先かも知れませんね。
予告動画やレビューは見ずに観るべきでした。介護職に携わる中で私自身も尊厳死について思うところがあり、とても深く重たいテーマを映画を通して投げかける作品です。それでも生きるか死ぬかは他人が判断していいことじゃない。だからこそ己の選択を行使できる権利について、尊厳死について、一部の有識者だけでなく社会全体で積極的に議論を重ねられたらと思いました。
介護に直面した人は、自分との戦いである為、心に闇を抱えるようになります。自分もそうでした。法律では許されることはありませんが、主人公のしたことに共感します。
映画「ロストケア」の出演(キャスト)
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くじゃくの舞
ブログを書いて飯を食らうWEBライター。
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