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映画「永い言い訳(本木雅弘主演)」のサブスク動画フル配信視聴サイト一覧

この記事では、2016年10月14日に公開された映画「永い言い訳」の動画はどこで見れるのか?また映画の情報やあらすじ、キャスト、レビュー、予告編動画、DVD&Blu-ray情報などを紹介します。

映画「永い言い訳(本木雅弘主演)」の予告編動画

映画「永い言い訳」の動画配信サービスの情報

映画「永い言い訳」のDVD&Blu-ray


映画「永い言い訳」の動画情報

映画「永い言い訳」の動画フル映像

映画「永い言い訳」の作品データ

  • 作品名:永い言い訳
  • 監督:西川美和
  • 脚本:西川美和
  • 製作会社:AOI Pro., BUN-BUKU
  • 配給:情報なし
  • 公開:2016年10月14日
  • 上映時間:124分

映画「永い言い訳」のあらすじ

人気作家の衣笠幸夫は、夏子と長年結婚していたが、既に2人の仲は冷え切った関係。ある日、夏子はスキー旅行に出発するが、バスが事故を起こして彼女は急死。その留守中、若い愛人と密会していた幸夫は、妻の死をどう受け止めるべきか、なかなか分からずにいた。一方、同じバスの事故でやはり妻を亡くした陽一は、悲嘆に暮れ、感情をあらわにする。仕事で多忙な陽一に代わって、幸夫は彼の子どもたちの面倒を見ることを約束する。

映画「永い言い訳」のレビュー&見どころ(評価・ネタバレ・感想)

映画,comAmazon PrimeTMDB
視聴者
視聴者
愛する人の死は悲しい。悲しいのが当然のはずである。しかし、この映画の主人公は、その当然に該当しなかった。映画は妻の死を悲しめない男のやり場のない感情をつぶさに描く。西川美和監督の人間の見つめ方は相変わらず、するどい。冒頭、髪を妻に切ってもらう主人公の描写がいい。妻に何もかも任せているにもかかわらず、不満ばかり言う人間なのだというのが見事に伝わってくる。散髪というのは、考えてみると奇妙な場面だ。刃物を持った人間の前で無防備に身動きとれない自分をさらすわけで、そこには信頼関係がないとできない。そして、至れり尽くせりになっている状態に、なんだか可笑しみを感じる。そして、本木雅弘に疑似的な主夫をやらせたのもうまい。自分と同じく妻を亡くした男性の家庭を助けるために、主夫に徹することで、誰かに必要としもらうことで、主人公は悲しめなかった自分を見つめなおすきっかけを得る。妻を失った男同士に絆が生まれるというのは、BL的な想像力も働く。西川監督は何かBL作品を参考にしたのだろうか、気になっている。
視聴者
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妻を亡くしても悲しみを感じられない男が、自分がいかにマトモでないかを認識していく物語だ。アメリカ映画『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』と似通ったプロットだが、同時に是枝監督の『そして父になる』も思い出した。『そして父になる』は、エリート意識にとらわれた男が父親としての愛情を見つけ出す話。その触媒になるのが貧しいが愛情豊かな別の家庭という点でも本作とよく似ている。ただし、西川監督は「親は、夫は、家族はこうあるべき」という結論に向かおうとはしない。本作の主人公は物語の冒頭からして、性格のねじくれた、相当に面倒くさいダメ人間だ。それが倫理的な正しさに目覚めるのでなく、ろくでもない自分を認識した上で、ちょっとマシな人間になる。しゃっきりしない話ではあるが、ある意味ストレートな成長物語だった『そして父になる』の反歌のようで、似た素材でここまで違うものを描く西川監督の手腕を楽しんだ。
視聴者
視聴者
突如の別れはどのように受け入れられるものなのか。遺された者はそこで何を感じるのか。主人公が即座に感情表現できる人であれば本作は成立しえない。その分“サチオ”はうってつけだ。2時間かけてゆっくりと寄せる喪失の波。いやむしろ「一向に泣けなかった自分」についての探求の旅というべきか。その意味で彼は、最後まで己にしか関心のない人間だったのかもしれない。しかしそれでも心に差し込む光の角度だけは、徐々に、確実に変わりゆく。妻への思いは曖昧だが、この先の生き方として、「他人との間」にこそ自分の現在地を見出していくような気配が見て取れる。そのことが何よりの尊さを持って胸に響く。「オンブラマイフ(優しい木陰)」の調べに乗せ靄を進む列車は人生の縮図のようだ。共にいた人が下車し、新たな旅人と旅を続ける。そうやって木陰を求め人は彷徨う。西川監督はまたも、慈愛と切れ味が同居する演出で人生の本質をすくい取って見せてくれた。
視聴者
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テレビに出演するような有名作家だけれど、本業の執筆に生きがいを感じているようには見えない。無名時代に支えてもらった妻との愛は冷め切っている。妻の留守中、自宅で浮気相手と一夜を過ごした朝、妻の事故死の報を受けるが、悲しむ感情すら起こらない……。外づらはいいが中身はダメダメな中年男を、本木雅弘が説得力十分に演じている。別の遺族一家に出会って、子育てを手伝っていくうちに変わっていく過程の表現もうまい。妻役の深津絵里は、諦念を漂わせるクールな美しさが光る。出番が少ないのがちょっと残念。西川美和監督が映画に先駆けて描いた原作小説にも同じ空気が流れていて、ちゃんと地続きの世界観なんだなと思わせる。映画を楽しめた方、小説もぜひ。
視聴者
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奥さんが亡くなられた時の不貞行為に向き合い、奥さんへの気持ちに素直に向き合うのは難しい。飾りのない素直な心をさらけるのには、時間がかかるのね…
視聴者
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2016年公開の作品。今回この作品を選択したのは、少し前のものだったことで、今の作品との違いを探りたいと思ったから。この当時にもタイトル名と作品に登場する「もの」が同じという型があった。サチオという人物は、一般的ではないのだろうか?冒頭、妻に髪を切ってもらいながら妻への愚痴をまくしたてている様を、画面越しに見れば引いてしまいがちだが、そのような妻との些細な言い合いは日常的に誰にでもあるだろう。第三者的視点に立ってしまえば、この作品はどこか別の世界の話に感じるだろう。サチオは、事故説明会の会場でまくし立てた同級生大宮ヨウイチとは対照的に、どこか冷徹で他人事のようにしている。有名人の妻の事故死ということも重なり、マスコミはサチオにインタビューするが、その回答はTVのコメンテーターのようだ。大宮は誰も頼る人がいない。そして同級生のサチオに電話する。彼からの電話を掛け直す気になったサチオの心境がこの作品の大きな転換期である。しかし、その事については深く描かれていない。物語としては非常に重要な部分だ。ここだけは視聴者に委ねることはできないし、ご都合主義的と捉えかねない箇所だった。さて、自分とは対照的な大宮家の生活。子供の世話と妹アカネの面倒を見る小学6年生のシンペイ。彼の子供らしからぬ言動に興味を持ったことで、長距離トラック運転手のヨウイチが帰らない日には、「僕が週2日ここに通うよ」といったことで、大宮家の生活を支えるようになる。大宮家はサチオとはすべてが対照的だった。このことがサチオが一番気になった部分だろう。編集者のキシモトには「次回作の取材」を言い訳にしていたが、それは後付けの理由だ。大宮家で感じた一番大きなものが、妻、母の死に対する「悲しみ」どうしても自分には感じられないその感情の正体を知りたかったのが、大宮家に通う一番の理由だろう。子供の面倒や家事などにも慣れてきたが、母のいない子供たちは、言葉に出さないけど思いのほかストレスを抱えていることを感じ取る。特に感情を言葉にしないシンペイは、疲れ切って泣いてしまったことを父には絶対言わないでという。彼らと一緒に海に出かけると、ぼんやり見えてきた妻の幻。そんな大宮家と一緒にいるうちに、オファーを断り続けていたTV番組の取材を受けいる気になった。収録の前日、妻のスマホに入っていた送信されなかったメール「もう愛してない。ひとかけらも」 怒りに任せてスマホをたたき割る。TV収録で感情が爆発してしまうが、それがかえって良かった。TV放映は良かったものの、「忘れる」ことについて、サチオとヨウイチの意見が対立する。この忘れるという概念は、特に東日本大震災でよく使われていた。どこのTVもこぞって「忘れない」などと放映していたが、私自身この「忘れない」という言葉に違和感をぬぐえないところがある。その考え方は、少なくとも、「押し付けられるものではない」と思うのだ。それは各々に委ねられるものであり、各々が処理すればいいことだと思う。そして、従来の考え方は急には変えられないように、サチオもまた、自論をひとつひとつ確認しながら自分自身の方向性を新しくアップデートしようとしていることに気づき始めているのだ。ヨウイチもまたサチオと話しながら、自分自身の偏った自論をアップデートし始めた。毎日欠かさず留守電に残された妻の声を聴いていたが、とうとうある日、メッセージを削除した。私も亡くなった母からのメールを削除できないでいたが、10年ほど前のある日にとうとうそれを削除した思い出がよみがえってきた。皆で遊びに出かけた科学館の先生との出会いと親しくなったこと、中学生になるシンペイ、そして事実上不要になった大宮家でのサチオの「仕事」すべては少しずつ変化してゆく。そのタイミングが重なったとき、サチオの抱えていた、抑え込んでいた「何か」が出現する。「疎外感」否めない事実。サチオは子供がいるというリスクについての持論を展開する。それは誰が聞いても気持ちいものではなく、言葉が過ぎていた。酔ったからこそ出た彼の「地」が出た。サチオが話した子供を作らなかった理由に、ヨウイチが嚙みつく。「なっちゃんは、そうは思っていなかったはずだ」それに対しサチオは「頼むから自分の幸せの尺度だけでものを言うな。夏子は僕の子供なんか欲しくなかったまま、死んだ。以上!」と言い捨てて帰る。追いかけてきたヨウイチに「僕は、夏子が死んだとき、冷たい湖でおぼれていた時、妻のベッドで女とヤリまくっていたいたの! 君とは全然違うの」それからしばらく大宮家には行かず、従来の生活を楽しんだ。しかし、どれだけ遊んでも酔いつぶれても、苦悩が止むことはなく、どうしてこんなに苦しいのか自分自身わからない。大宮家ではシンペイが「疲れ」父と喧嘩する。「僕はお父さんみたいになりたくない」ずっと我慢してきた心の叫びを父にぶつけてしまう。そのまま仕事に出かけたヨウイチは、事故を起こす。病院はヨウイチの連絡先からサチオに連絡する。サチオは大急ぎで出かけた。シンペイの告白「お父さんに悪いことを言った」サチオ「生きてりゃ、いろいろ思うよ、みんな。でも、自分を大事に思っている人を見くびってはならない。見下してもいけない。そんなことすると、愛していいはずの人が誰もいなくなってしまう。僕みたいになる」思うに、サチオは大宮家の人と話しながら、ブレインストーミングしていたのだろうと思った。彼らに起きた出来事とそれを俯瞰できる立場にいること。そして子供たちの純粋な心に触れながら、ゆっくりと従来の自論をアップデートしてきたのだろう。誰でも起きた出来事や「何か」に対する心の抵抗がある。その根源にあるのが「思い込み」だったり、「罪悪感」だったりする。起きてしまった事故によって、その家族に寄り添うことによって、サチオには見えてきたものがあった。トラックに一緒に乗って帰るシンペイと、反対方向へと歩き出したサチオ。ひとつの縁が始まって、そうしてやってきた、別れのタイミングだ。汽車のなかでサチオが書いた「人生は他者だ」この言葉の持つ意味は深い。そして多義的だ。人生は他者がいるからこそ成り立つとも解せるし、他者によって自分の人生が示されるとも解せるし、自分の迷いを他者を見ることで学べるとも解せるし、もっとあるだろう。とにかくサチオは学んだのだ。そして新しく出版した小説「永い言い訳」妻のスマホを叩き割ったのは、彼女の言葉に怒った理由とは、それは、サチオ自身が妻をひとかけらも愛していなかったことへの裏返しだった。妻に先を取られた悔しさ、怒り。パーティ会場でサチオはアカネから写真を一枚もらった。そこには大宮家と一緒に笑顔いっぱいで写る妻がいた。脳裏をかすめるヨウイチの言葉「なっちゃんは、そうは思っていなかったはずだ」その自分がいない写真をフォトスタンドに入れて飾った。妻の本心が写った写真。大宮家のような家族が欲しかった妻の本心が写った写真。彼女がずっと使ってきたハサミ、あの日最後に使ったハサミについた自分の髪の毛。そして、ようやくしまうことのできた妻の遺品。そしてサチオは20年間妻を愛さなかった言い訳を、永い時間をかけて詫びることができたのだろう。2016年の作品だったが、よかった。私も妄想しながら泣けた。私自身ブレインストーミングできたように思う。行間が深く、難しかったがいい作品だった。
視聴者
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いられる時間は永遠ではないし、当然にある存在ではない…奥さんを大切にできてるか…この映画でハッとした男性は多いのでは。もっくんはもちろん竹原ピストルの、いまにも、もっくんに殴りかかるのではという迫力少ない登場シーンで、生前の人柄まで感じさせる、、透明感抜群の、深津絵里 雑誌の表紙に使われた写真の凛とした感じ、すごい そして、多忙で、かつ、夫婦で旅行して写真とって、なんてことがなかったから、雑誌の写真を遺影に使うしかなかったのか…ラストの サチオ君の新作出版記念のパーティーサチオ君と目が合ったピストルさんが見せた笑顔、最高。永い言い訳には、どこまで、サチオ君のクズ男ぶりを描いたのか、気になるラストだった…
視聴者
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西川監督の作品はどれも好き。ゆっくり物語が進んでいく感じが肌に合う。役者の表情や感情表現が刺さる。キャスティングも完璧。今作もクズの夫役として本木雅弘がドンピシャ。子どもたちとの触れ合いを通して徐々に変わっていく様も素晴らしい。家族以上に家族してた。一番印象深かったのは電車のシーンの台詞。「大丈夫だよ、しんちゃん。生きてりゃいろいろ思うよ、みんな。でもね、自分を大事に思ってくれる人を、簡単に手放しちゃいけない。みくびったり、貶めちゃいけない。そうしないと、僕みたいになる。僕みたいに、愛していいはずの人が誰もいない人生になる。簡単に離れるわけないと思ってても、離れる時は一瞬だ。そうでしょ。だから、ちゃんと大事に握ってて。君らは、絶対」タイトルの「永い言い訳」は誰に対しての言い訳なんだろう。幸せにできなかった妻に対してなのか。妻を思う妻の友人に対してなのか。自分を持ち上げてくれるまわりの人たちに対してなのか。慕ってくれる子ども達に対してなのか。妻が死んでも泣くことができない自分に対してなのか。答えはきっと…
視聴者
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2006年作品。原作・脚本・監督・西川美和。「人間失格」を書いた太宰治、「堕落論」を書いた坂口安吾、妻を交換しあった谷崎潤一郎と佐藤春雄。作家(文子)の端くれで文化人である本木雅弘の演じる津村啓。その津村にも作家のDNAは脈々と流れ受け継がれている。津村の本名は鉄人・衣笠祥雄と同姓同名で妻・夏子(深津絵里)から、サチオ君と呼ばれている。その呼び名に子供じみたイチャモンをつける津村。本木雅弘がよく引き受けたと思うほど、サチオは最低の男である。冒頭の妻との会話。あまりの難癖の付けように、妻とはこれほど人間性を否定されても、夫に我慢して尽くすものか?唖然とする。(後半明かされる夏子の衝撃的なスマホへの書き込み。本音。)愛人(黒木華)と妻のベッドで睦み合う津村。その最中に留守電が鳴る。「妻の交通事故」を知らせる山梨県警からのメッセージ。そして山梨県で荼毘にする津村。そして事故で一緒に亡くなった夏子の親友・大宮ゆきの夫・大宮陽一(竹原ピストル)から、泣いてる留守電を受ける。そして電話を掛けて会う決断をする津村。その後の行動は屑男を返上する美談なのだ。大宮の電車一本で着くというマンションに週二回通うサチオ君。大宮の息子の真兵の中学受験のサポートだ。息子(藤田健心)は小6。灯(あかり=天才子役の白鳥玉季)は来春・小1になる年齢。そして子供のいない津田は、真兵と灯とのシーンは、擬似親子のままごと的で心暖まる。(西川美和が話していたが、未婚の西川が叔母の立場になり甥とか姪を持った事が本作に色濃く投影した・・・と、)津村の編集者の岸本(池松壮亮)は、子供たちの世話をすることで癒される津村に、「逃避ですか?」「子供は免罪符」と自分の幼い子らの待ち受け写真を見せる。そうなのだ。津村は子供・・・子供のない夫婦の夫は幼稚である・・・などと書くと差別発言と叱られるが、子を持つことは「忍耐を学ぶこと」結婚することも同じく「他者」を受け入れて自分の一部として認める寛容を必要とする。前置きが長くなったが、妻を突然亡くした2人の男。一人は不倫中で“妻の死を本心から悲しまず、泣けない男“津村。と、泣き崩れ悲しみに押しつぶされる親友の夫・大宮(竹原ピストル)西川美和の人間描写が凄まじい。会話の妙。津村と真兵と灯そして陽一の睦まじい日々に喜びを感じる津村。そこに割り込んでくる幼稚園教師の優子(山田真歩)あんなに泣いて、苦しんだ陽一が、「今泣いたカラスがもう笑った」みたいに優子との再婚もアリ・・・みたいに立ち直りつつある。そこに自分を除け者にされたと感じる津村の子供じみた嫉妬。(会話を100%書き写したくなるけれど、そこは自重します)《人間が描けている=心の機微が痛いほど迫ってくる》竹原ピストルが実に上手い。儲け役かもしれない・・・けれど長距離バスの運転手・・・その仕事をする男の妻を亡くした悲しみを、ここまで生身の同情出来る男として演じる竹原ピストルは凄い(歌手としても、好きです、特に歌詞がいい)そして3子の父親でありながらその事実を微塵も感じさせることなく、欠陥人間、文化人の嫌らしさ、不幸も書いて出版して飯の種にする・・・作家の性(さが)。本木雅弘のリアリティある演技も凄い。「おくりびと」(2008年が実に良かった)仕事を選ぶし、働かない(義母樹木希林の言葉)本木雅弘が、久しぶりに演じたいと感じた役は屑男の再生・・・だった。子供たち(福田健心と白鳥玉季)が実にイキイキして可愛い。格好いい津村と父親を比べて、父親(竹原ピストル)が劣って感じ、なじる真兵・・・それもこれも人の心・・・竹原ピストルが妻(堀内敬子)からのバス中から残した最後の留守電。繰り返し聞いていたそれを消去するシーン。(凄すぎるシーンだ)2017年キネマ旬報ベスト・テンの第5位。キネマ旬報・助演男優賞(竹原ピストル)毎日映画コンクール・男優主演賞(本木雅弘)原作「永い言い訳」は山本周五郎賞を受賞。直木賞の候補作にも選ばれた。大人の観る日本映画の傑作・・・「ゆれる」と共にまたしても西川美和には、驚かされる。
視聴者
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人と話したくなる映画。
視聴者
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ナルシストで性格の悪そうな小説家の役を本木雅弘が好演。子役の2人の自然な演技が素晴らしい。特に妹役の子の演技は実に自然。最初の数分しか出番のない深津絵里の存在感が大きい。改めて彼女は実に存在感と透明感のある女優だと思う。尤も、ストーリーは正直余り引き込まれるものではないし、無駄に長い映画であるとは思う。
視聴者
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ここ何年かで一番涙が出た作品でした。おそらく、心情的に共感するところが多いからかな。本木雅弘さんをこんなに身近に感じたのは初めてです。ダメ男イケメンの衣笠幸夫が、ほんの少し変化していく希望の物語り。浮気相手とお葬式の後に愛のないセックスをするシーンは本当に気分が悪かったけど…そして、竹原ピストルさんが対照的に純粋で一生懸命な夫を秀逸に演じていて心が洗われました。長く生きていると、完璧な人間などいないと本当に思う。でも、西川美和監督は人間の性善説を信じているのだと思う。いつも心の中に小さな灯を残してくれてありがとうございますと言いたい。とても感動したので、レビューを書くのにちゃんと頭を整理してから…と思って時間を置いていたら、そのまま時間が過ぎ、細かい部分を忘れてしまうという低堕落。でも、書きているうちにさまざまなシーンを思い出しました。永い言い訳というタイトルも好き
視聴者
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大事に思ってくれる人を捨ててはいけないという言葉が刺さりました。人生色んなことから逃げたくなって向き合わずに生きてしまってる自分からしたら幸夫の行動は理解出来てしまいました。人の子供との生活を通して目の前のことを大切にしようと勝手になっていく、そこから自分のことを見つめ直し、過去は過去、これからはこれからと割りきって生きようとする様子が素敵でした。人には言えるけど自分のことはなかなか難しい。心のよりどころというのは幸夫くんにとっては3人との生活であり、そこも過去として別の道を歩むんだなーと、ラストシーンはちょっと驚き。妻からのもう愛していないというメッセージとその流れが僕にはちょっと分からなかったので知りたいですね。後、山田真保さんの吃音も分からなかった。本木雅弘さんの演技はあまり見たことないのですが、天然ぽいコミカルさとお姉感がはまってました。後子供のことで嫉妬する様かわいい。なんか稲垣吾郎ぽかった。そして何より子供二人が素晴らしい。あかりちゃんのかわいらしさ半端ない。森川葵ちゃんの子供の頃はこんな顔じゃないかなという雰囲気でした。しんぺい君はイケメン過ぎる。父にちゃんと向き合えて、大事に出来て良かった。今後の活躍に期待です。
視聴者
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自堕落と無知、努力と才能、後悔と反省…本木雅弘、好演でした。竹原ピストル、とてもいい味出てました。
視聴者
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不倫のさなか、事故で妻を失った男。同じ事故で運命を共にした妻の親友の家族との交流。深津絵里がたったこれだけ?黒木華もっとそれだけ?竹原ピストルズ、ハマり役ですね。子役たちが良い。特に可愛くない少女を好演する子役(笑)もちろん主演本木雅弘も良かった(同じ歳です 笑)なかなか考えさせられる、ぐっとのめり込んでしまう作品だった。「自分を大事に思ってくれる人を簡単に手放しちゃいけない」J:COM
視聴者
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原作脚本監督という、西川美和ワールドに引き込まれました。主役の津村啓(本木雅弘)の、多面的な言動に、心動かされた。不倫中に妻が事故死という、そこからの展開は、打算的だったのか?本心で大宮陽一家(竹原ピストル)を助けるためなのか?出版パーティのシーンから、僕は後者だったと言い切りたい。人生の成功とは? あるべき夫婦、家族の姿とは?深いテーマを多角的な切り口で表現している、また他の作品も観てみたい。
視聴者
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某映画のレビューで☆1を付けたので、文句しか言わないやつに
ならないよう、文句なしのこちらにレビュー。

キャストを考えると夫婦関係が軸の話なのかなと思っただけに.
全く予想しない展開だった。中々こういう方向に膨らませる映画を見たことがないので、
先が読めずに楽しめた。子供たちの芝居もいい。作り込んでいない感じ、
子供ってこうだよなっていうリアルさが当作品をギュッと引き締まったものにしている。

一番印象的なシーンは、皆で鍋を囲む時の主人公の場違い感。
あれだけ子供たちに献身していたのに、容易に変わってしまったように見せる関係性。
上手いな、と思った。子供たちは手を離したわけではないのに、大人は先を考えてしまう。

夫婦関係が軸の展開ではないが、物語はそこに帰っていくという技がある。
もう少し最後のまとめ方は別のやり方が無かったかな、と思うが、
それを差し引いても素晴らしい作品だった。思わず考えさせられる。

視聴者
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良い映画でした。
サチオが大宮家に馴染んでいく過程が見ていてとても楽しかった。
子供たちの演技が自然な感じで良いです。
子供たちの父陽一は、率直で裏のない性格に見えますが、所々意外な一面を感じさせるシーンがあり、ちょっとハラハラします。あれはなんだったのだろう?
サチオの仕事相手である編集者岸本は、いい加減な人間に見えて核心を突くことを口走ったり、身を挺してフォローしたり、案外馬鹿にできないキャラクターでした。

そしてサチオ・・・なんという人間でしょう。
お酒を飲んだら本当にダメな、加虐的な人格が出てきて騒動を巻き起こす。でもこれが真の姿なのだろうか。サチオが誰かを責めたり怒りを突然爆発させるシーンは、何故か笑ってしまう不思議な感覚になりました。
本作を見るにあたって重要なのは、彼が自分をどう考えているかという点ですが、まだかまだかと待っているとしっかり吐き出す処があるのでご安心を。
それらを潜り抜けて、彼が再び物を書き始めるシーンは良いですね。あんな感じでみんな書いてるのかな? 違うか。

視聴者
視聴者
2016年公開の作品。
今回この作品を選択したのは、少し前のものだったことで、今の作品との違いを探りたいと思ったから。
この当時にもタイトル名と作品に登場する「もの」が同じという型があった。
サチオという人物は、一般的ではないのだろうか?
冒頭、妻に髪を切ってもらいながら妻への愚痴をまくしたてている様を、画面越しに見れば引いてしまいがちだが、そのような妻との些細な言い合いは日常的に誰にでもあるだろう。
第三者的視点に立ってしまえば、この作品はどこか別の世界の話に感じるだろう。
サチオは、事故説明会の会場でまくし立てた同級生大宮ヨウイチとは対照的に、どこか冷徹で他人事のようにしている。
有名人の妻の事故死ということも重なり、マスコミはサチオにインタビューするが、その回答はTVのコメンテーターのようだ。
大宮は誰も頼る人がいない。そして同級生のサチオに電話する。彼からの電話を掛け直す気になったサチオの心境がこの作品の大きな転換期である。
しかし、その事については深く描かれていない。物語としては非常に重要な部分だ。ここだけは視聴者に委ねることはできないし、ご都合主義的と捉えかねない箇所だった。
さて、
自分とは対照的な大宮家の生活。子供の世話と妹アカネの面倒を見る小学6年生のシンペイ。彼の子供らしからぬ言動に興味を持ったことで、長距離トラック運転手のヨウイチが帰らない日には、「僕が週2日ここに通うよ」といったことで、大宮家の生活を支えるようになる。
大宮家はサチオとはすべてが対照的だった。このことがサチオが一番気になった部分だろう。
編集者のキシモトには「次回作の取材」を言い訳にしていたが、それは後付けの理由だ。
大宮家で感じた一番大きなものが、妻、母の死に対する「悲しみ」
どうしても自分には感じられないその感情の正体を知りたかったのが、大宮家に通う一番の理由だろう。
子供の面倒や家事などにも慣れてきたが、母のいない子供たちは、言葉に出さないけど思いのほかストレスを抱えていることを感じ取る。
特に感情を言葉にしないシンペイは、疲れ切って泣いてしまったことを父には絶対言わないでという。
彼らと一緒に海に出かけると、ぼんやり見えてきた妻の幻。
そんな大宮家と一緒にいるうちに、オファーを断り続けていたTV番組の取材を受けいる気になった。
収録の前日、妻のスマホに入っていた送信されなかったメール「もう愛してない。ひとかけらも」 怒りに任せてスマホをたたき割る。
TV収録で感情が爆発してしまうが、それがかえって良かった。
TV放映は良かったものの、「忘れる」ことについて、サチオとヨウイチの意見が対立する。
この忘れるという概念は、特に東日本大震災でよく使われていた。どこのTVもこぞって「忘れない」などと放映していたが、私自身この「忘れない」という言葉に違和感をぬぐえないところがある。その考え方は、少なくとも、「押し付けられるものではない」と思うのだ。
それは各々に委ねられるものであり、各々が処理すればいいことだと思う。
そして、
従来の考え方は急には変えられないように、サチオもまた、自論をひとつひとつ確認しながら自分自身の方向性を新しくアップデートしようとしていることに気づき始めているのだ。
ヨウイチもまたサチオと話しながら、自分自身の偏った自論をアップデートし始めた。
毎日欠かさず留守電に残された妻の声を聴いていたが、とうとうある日、メッセージを削除した。
私も亡くなった母からのメールを削除できないでいたが、10年ほど前のある日にとうとうそれを削除した思い出がよみがえってきた。
皆で遊びに出かけた科学館の先生との出会いと親しくなったこと、中学生になるシンペイ、そして事実上不要になった大宮家でのサチオの「仕事」
すべては少しずつ変化してゆく。
そのタイミングが重なったとき、サチオの抱えていた、抑え込んでいた「何か」が出現する。
「疎外感」
否めない事実。
サチオは子供がいるというリスクについての持論を展開する。
それは誰が聞いても気持ちいものではなく、言葉が過ぎていた。
酔ったからこそ出た彼の「地」が出た。
サチオが話した子供を作らなかった理由に、ヨウイチが嚙みつく。「なっちゃんは、そうは思っていなかったはずだ」
それに対しサチオは「頼むから自分の幸せの尺度だけでものを言うな。夏子は僕の子供なんか欲しくなかったまま、死んだ。以上!」と言い捨てて帰る。
追いかけてきたヨウイチに「僕は、夏子が死んだとき、冷たい湖でおぼれていた時、妻のベッドで女とヤリまくっていたいたの! 君とは全然違うの」
それからしばらく大宮家には行かず、従来の生活を楽しんだ。
しかし、どれだけ遊んでも酔いつぶれても、苦悩が止むことはなく、どうしてこんなに苦しいのか自分自身わからない。
大宮家ではシンペイが「疲れ」父と喧嘩する。「僕はお父さんみたいになりたくない」
ずっと我慢してきた心の叫びを父にぶつけてしまう。
そのまま仕事に出かけたヨウイチは、事故を起こす。
病院はヨウイチの連絡先からサチオに連絡する。サチオは大急ぎで出かけた。
シンペイの告白「お父さんに悪いことを言った」
サチオ「生きてりゃ、いろいろ思うよ、みんな。でも、自分を大事に思っている人を見くびってはならない。見下してもいけない。そんなことすると、愛していいはずの人が誰もいなくなってしまう。僕みたいになる」
思うに、
サチオは大宮家の人と話しながら、ブレインストーミングしていたのだろうと思った。彼らに起きた出来事とそれを俯瞰できる立場にいること。そして子供たちの純粋な心に触れながら、ゆっくりと従来の自論をアップデートしてきたのだろう。誰でも起きた出来事や「何か」に対する心の抵抗がある。その根源にあるのが「思い込み」だったり、「罪悪感」だったりする。
起きてしまった事故によって、その家族に寄り添うことによって、サチオには見えてきたものがあった。
トラックに一緒に乗って帰るシンペイと、反対方向へと歩き出したサチオ。ひとつの縁が始まって、そうしてやってきた、別れのタイミングだ。
汽車のなかでサチオが書いた「人生は他者だ」
この言葉の持つ意味は深い。そして多義的だ。
人生は他者がいるからこそ成り立つとも解せるし、他者によって自分の人生が示されるとも解せるし、自分の迷いを他者を見ることで学べるとも解せるし、もっとあるだろう。
とにかくサチオは学んだのだ。
そして新しく出版した小説「永い言い訳」
妻のスマホを叩き割ったのは、彼女の言葉に怒った理由とは、それは、サチオ自身が妻をひとかけらも愛していなかったことへの裏返しだった。妻に先を取られた悔しさ、怒り。
パーティ会場でサチオはアカネから写真を一枚もらった。
そこには大宮家と一緒に笑顔いっぱいで写る妻がいた。
脳裏をかすめるヨウイチの言葉「なっちゃんは、そうは思っていなかったはずだ」
その自分がいない写真をフォトスタンドに入れて飾った。
妻の本心が写った写真。大宮家のような家族が欲しかった妻の本心が写った写真。
彼女がずっと使ってきたハサミ、あの日最後に使ったハサミについた自分の髪の毛。
そして、ようやくしまうことのできた妻の遺品。
そしてサチオは20年間妻を愛さなかった言い訳を、永い時間をかけて詫びることができたのだろう。
2016年の作品だったが、よかった。
私も妄想しながら泣けた。
私自身ブレインストーミングできたように思う。
行間が深く、難しかったがいい作品だった。
視聴者
視聴者
雰囲気と舞台装置は素敵です。

邦画特有の余韻、何にしてもやるせないような子役の演技。
教えを説くにつれて自身も大切なものに気付かされていく過程。
妻をなくしたという共通点をもつ、性格も悲劇の受け止め方/対処法も正反対の男たち。
子どもたちや人生のイベントを通して、悲劇の捉え方を変えることに至るラスト。

気になったのは主人公の顔が表と裏で違いがありすぎること。
利己的で頑固な硬派な男かと思えば、子守のシーンではオドオドと情けない、
酒を飲めば饒舌で軽薄、突如激高、最終的には一皮むけましたという描かれ方ですが、
本当の姿が見えずに設定が宙ぶらりんな印象。
過去を深堀りしないスタンスも、上記に拍車をかけています。
好みのストーリーですが星3つの評価としたのは、この主人公像が原因でもあります。

「自分の尺度で人の幸せを計るな」というセリフ、
これが最もインパクトのある場面だと思っているのですが、この映画のメッセージではないですよね…。
珍しく声高に主張しているので、勘違いされかねないシーンです。
物語として親切ではないがゆえに、視聴者の感性頼みの映画です。

視聴者
視聴者
大切さを失って初めて気付くシーンがすげーと思いました。
視聴者
視聴者
主人公が自分大嫌い!だから、こうなるんだよ、、がわかりやすく物語になってた。

心を失ってる人を上手く描写してて、また、そこから這い上がる描写も上手く出来てると思った。

自分大嫌いだから、演技しながら自分の人格隠して生きてて、妻は自分を愛してると思ってるから、そんな相手を大切にする事が出来ない自分は傲慢になり、自分が嫌いな自分を好きな訳ないじゃん!嘘でしょ?何考えてんの?みたいな対応しか出来ない。
自分が自分を大切に出来ないから、もちろん他人も大切に何て思えないし出来ない。

妻には劣等感も感じてたから、無下にしてたんじゃないかな?
パートナーではなく、わかってる、わかってる、、みたいな、本当はわかってない母親みたいに感じてた様な気がする。
はい、はい。みたいな、わかってるよ、、じゃなくてあしらわれてる風に。
これは自尊心傷つきますからね。
相手にされてない感を、感じてたんじゃないかな。

それもこれも、スタートは自分が自分を大嫌いな気持ちから始まるんだけど。
妻は、何で信じてくれないんだろう、、みたいに思うでしょうね。

大宮親子に出会えて、素の自分を出しても、あれ?大丈夫なんじゃないの、、?みたいに、
子供に受容されたのが再生のきっかけだと思った。

お兄ちゃんが主人公よりの個性だったのが良かったんだろう。
お兄ちゃんの自尊心にも一役かってて、この2人が出逢えて良かったね、と思った。

人生は他者だ、、。って、自分の事を知るにも生きるにも、他者がいないと成り立たないってわかったんだろう。

自分が何に苦しんでいて、何が嫌で、何をどうしたいのかもわからない自分から、
自分を見いだし、自分に気づかせてくれたのが他者だったんじゃないかな。

結局は自分の中の子供で生きてたんだけど、
実の子供と関わって、自分の中の子供の気持ちに対応できるようになったんだろう。

子供に自分を受容してもらって、
子供の素直な部分にふれて、
自分も素直になってみて、受容された。
これから、、で終わってます。

妻を愛されていいはずの人、、と言ってる。
自分が人を愛せない人間だったんだって、
気がついたんでしょう。

自分から始まる、を、いろいろな視点から描いてる。
受容も愛も自分から。
自分は自分を大嫌いで、人を信じられなくて、
誰も愛せない人間だったとわかったんだろうね。

手放しちゃいけない。も、まず自分ですよね。
自分への愛を手放してしまうから、こうなる。
自分を手放せって、子供の頃から言われますからね。
自分じゃだめだ、、って思わされて、思ってる自分を自覚してないで、大人になって、また子供に言ってる人は沢山いますよ。

「自分の尺度で、人の幸せを測るな」みたいなセリフが効いてますね。
主人公自身に突きつけた言葉、自分自身に突き付けた言葉だと思った。
自分大嫌いな自分は、全部、拗ねてひねくれた目線でしか人も世の中も見れてないんだから。
自分は違う、違う、嫌、嫌、しか言えない赤ちゃん、八つ当たりしか出来ない子供だって、気がついたんだと思った。

視聴者
視聴者
ネタバレあり。

久々に重厚で、引き込まれる映画を見たという感じを受けました。
とにかく俳優陣が素晴らしい!
主役のもっくんを始め、竹原ピストル、池松壮亮、黒木華、深津絵里などが脇を固めていて、とにかく見応えがあります。
でも特筆すべきは、竹原ピストルの子を演じた藤田健心と白鳥玉季。演技なのかと思えるほど自然体で説得力があり、とにかく輝いています。
また、いわゆる脇役/端役というような俳優陣(特に、後半に出てくるドモリの女性:
山田真歩、山形県警:康すおん、もっくんの出版社の編集長:岩井秀人、深津絵里の同僚:松岡依都美、それと声だけの出演の木村多江)が正にハマり役で実に素晴らしく、この映画をレベルの高いものにしていると思います。
深津絵里も良いですが、個人的に彼女は友情出演というべき存在で、エンドロールでトリを飾るべきではない気がします。この映画でトリとなるべきなのは、断然竹原ピストルだと思います。

台詞はきわどいものが多く、主人公が特に人間臭く描かれています(それをもっくんがよく演じている!)。
そのため、見ていて不快に感じるシーンもありましたが、同時に心にくるものがありました。

それだけに個人的には正に秀逸と言える映画なのですが、どうしても納得できない点が2点。
1つはマイナーですが、竹内ピストルの演じるキャラが2度ほど見せる威圧感。
彼がこれから何を仕出かすんだろうと思わせるような緊張感を観る側に与えますが、結局それが何にも繋がりません。しかもシーンにそぐわない! 監督がどういう意図でそう演じさせたのか、正直理解できません。
2点目がこの作品を星5つにできない理由です。
後半、主人公が竹内ピストル演じるキャラに本音を叩きつけそれが元で疎遠になりますが、後者が起こした事故がもとで最終的にまた元のような関係に戻ります。
この事故の後、主人公が竹内ピストルの息子とともに彼に会いに行くシーンがありますが、ここがこの映画の中で最も重要なシーンだと思っています。作家としても伸び悩んでいた主人公が、これを機に執筆を始めそれが賞を取る(おそらくこれが妻、深津絵里のキャラに対する「永い言い訳」なのだと思いますが、その内容についてはあまり触れておらず、見ていて「これが言い訳か」と感じないのも残念)。それだけに、この「再会と和解」がとても主人公にとってのブレイクスルーのはずなのに、その2人の会話どころか対面するシーンすらありません。息子を連れて来てくれた主人公に一言も告げず、息子とともに大型トラックで去る竹内ピストルのキャラ。クライマックスに来て肩透かしを食らったような感じを受けました。このシーンをもっと丁寧に作っていれば、この映画の完成度は間違いなくもっともっと高かったと感じざるを得ません。

他の方も書いていますが、色々ツッコミどころの多いのも確かです。でも個人的には、つい何度も見てしまうという久々のヒット作です。

視聴者
視聴者
ドロドロした展開が多いのかと思いきや、子供たちにどんどん馴染んでいく主人公のほのぼのシーンが多くて、とても印象の良い映画でした。

妻が亡くなってもエゴサして自分の印象を確かめたり、人には偉そうにもっともらしいことを語ったり、作り物のTV番組にも分かっていながら乗っかってしまう幸夫君。イケメンだけどナルシストでちょっと面倒くさい男を本木さんがとても丁寧に演じられています。

わがままを何でもぶつけてしまって大切にしていなかった奥さんに、実はとっても甘えていた。
喪失感や悲しみと正面から向き合うまで、幸夫くんは長い長い時間を要します。
そんな中での子供たちと関わっていくシーンはとてもよかったです。自然なシーンや展開が多くて、安心して見ていられました。

売れっ子子役で今はすっかり大きくなった白鳥玉季さんのすごく幼い頃が見られたのも大きな収穫でした。

視聴者
視聴者
観易さを追求するために、リアルな様でリアルでないキャラ達ではなく、
等身大の登場人物達に思わずホッコリしたり、うるっときたりしました。

設定も展開も非常に秀逸です。

自身が妻の死に対してあまり悲しくならなかったことと同時に、
実は妻の方も夫に対して既に愛情を無くしていたりと。

それを演じきれるキャスト達も素晴らしいです。特に子供達が。

世の秀才達は偉そうに講釈をどうたらこうたらと言うけど、
子供のうちから手伝いという名の家事をやらされなければ、
才能が開花するなんて、そんなのは当たり前です。

自分の置かれた恵まれた環境を分かっていない人が多いから、
是非ともそういう人に観て欲しい作品です。

視聴者
視聴者
伏線の回収はなく、いろいろ皆さんで考えて。といったところでしょうか。
それなりにハッピーエンドなのですが、もやもやっとするのは、自分で答えを
出す必要があるところかしら.....
皆さんがいうように、本木さんがかっこよすぎてそれに目を奪われてしまうところはあります。
きれいな景色と心地よい音楽にいやされます。おすすめです。

映画「永い言い訳」の出演(キャスト)

池松壮亮 出演作品

監督・俳優・女優名

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くじゃくの舞

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